原文は[[SITUATION IN XINJIANG UYGHUR AUTONOMOUS REGION OF THE PEOPLE’S REPUBLIC OF CHINA]]

中華人民共和国、新疆ウイグル自治区の状況 

東トルキスタンは、今日、中国の「新疆ウイグル自治区」として知られている地域であり、そこでは、ウイグル族が生命の危機に瀕しています。 
ウイグル民族の基本的な自由と人権 - 市民的、政治的、経済的、社会的、および文化的な権利は、中国政府当局から大幅な侵害を受けています。 
また、中国人の移住者の流入は、ウイグル民族の女性に対する強制的な産児制限やウイグル語の使用の制限など、組織的な漢民族同化政策という脅威をもたらしています。 

多数の東トルキスタンの住民は、中国政府の主張する政治的な理由による逮捕や拷問を受け、死刑執行に課せられています。 
しかしながら、アメリカ国内で起きた9・11という非人道的なテロ攻撃の後に、中国当局はウイグル人を「テロリスト」とレッテルを貼る世界的な政治キャンペーンを行いました。 
国際社会が中国側の主張に対して懸念を表したにもかかわらず、ウイグル民族に対する大規模な弾圧に着手するために、中国当局は国際テロ戦いを口実としました。 

アムネスティ・インターナショナルの発表によれば、2001年9月11日以降、中国当局は3,000人のウイグル民族を逮捕し、抑留者は残酷な拷問に苦しんでいるとのことです。 
200人以上のウイグル人が政治的な理由によって処刑されており、さらに50名に対して分離主義者およびテロリスト活動等の罪状にて死刑が宣告されています。 

具体的な例を挙げましょう。 
Shaheer Ali, Abdu Allah Sattar and Khenzum Whashim Ali(シャヒール・アリ、アブドゥ・アッラ・サッタル、ケンズム・ワシム・アリ)の3名は、 
2002年にネパール当局によって中国に強制送還されました。 
この3人の男性がネパールへの到着してから国外退去命令を受けて第三国の移民許可を待つ間、 
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は彼らを「援助対象者(POC - Persons of concern to UNHCR)」と認定していました。 
シャヒール・アリとアブドゥ・アラー・サッタルはネパールの移民当局によって抑留され、2002年1月に2001年12月に中国に強制送還されました。 
ケンズム・ワシム・アリは、2002年の半ばに強制送還されました。 
アムネスティー・インターナショナルによれば、アブドゥ・アラー・サッタルとケンズム・ワシム・アリの両名は、 
新疆ウイグル自治区に拘留されましたが、その後の彼らの消息は不明となっています。 
シャヒール・アリは、「テロリスト」の容疑により非公開裁判において死刑宣告を受け、10月に処刑されたことが、当局関係者によって確認されました。 
シャヒール・アリは、前回1994年1月に拘留された際に受けた暴行 - 電気ショックや失神に至るまでの蹴り - について詳細な証言を密かに遺していました。 

中国が、東トルキスタンにおける「諸問題」をウイグル人のせいにするのは、今回が初めてのことではありません。 
過去55年間に渡り、中国当局はウイグル民族に対して次のようなレッテルを貼り続けています。いわく、 
「アメリカの張り子の虎」、「ソ連の覇権主義の傀儡」、「反革命主義者」、「汎トルコ主義者」、「分離主義者」、そして「テロリスト」。 
北京の政治的課題に応じて、用いられるスローガンが選択されます。 
中国の現在の政治キャンペーンにおいて、ウイグル人に対して「テロリスト」とのレッテルを貼ることは、 
中国共産党全国人民代表大会常務委員会の秘密文書に概説されているように、 
1996年3月19日に採択された「Defending the Stability of Xinjiang(新疆平定のための防衛)」という中国政府の戦略の一環なのです。 
この秘密文書において、中国政府は次のように述べています。 
「虚報(デマ)を通じて、分離主義者たちが国際社会にいわゆる「東トルキスタン問題」なるものを訴えかけることを断固阻止しなくてはならない」 

1949年以前には、東トルキスタンには30万人の漢民族移住者がいるのみでした。 
中国の公式な人口調査によれば、現在では7百万人を超える移住者が在住していると報告されています。 
しかしながら、オブザーバーたちによれば、この報告数は実体数をはるかに超えているとみなされています。 
毎年25万人を数える漢民族の移住者たちが、東トルキスタンに移る予定であると推測されています。 
東トルキスタンにおける信頼できる情報筋によれば、長期的にみて中国当局は少なくとも 
4千万から5千万人規模での東トルキスタンへの移住計画を立てていると考えられています。

移住者や入植地などの強制移住に伴い、1991年、92年、93年に差別の防止とマイノリティの保護を目的とする 
小委員会が決議されました。この委員会は、政府の決定により移住して来た者、移住していく者だけではなく、 
移住者の入植先における先住民をも含めて、基本的人権および自由を保護することを目的としました。 
また、この決議では、小委員会がジェノサイド(大量殺戮)の実施とも言える権限を有している点にも注目されました。 
前述したように、強制移住によって、移住させられた人たちだけではなく、移住先として指定された土地の先住民も甚だしく権利が侵害されています。 
そして、東トルキスタンにおける漢民族の移住者たちの流入の結果、もともと東トルキスタンに住んでいた人々は、 
「自らの土地において、自分たちがマイノリティな存在になる」危険や、「文化的アイデンティティ」が徐々に失われていく事態に直面しています。 
このような侵略的な人口政策は、当事者たちの民族自決権を侵害しています。そればかりか、経済的、社会的、文化的な権利といったさまざまな基本的人権につながる権利までもが侵されています。 
犠牲となっている人々の経済的、社会的、そして文化的な状況は一向に改善されていません。 

(以下続く予定。乙です926-227,933,937,961)