東トルキスタンからの亡命者

イスタンブールに着いたその日の夕食時、やさしい眼差しの奥に、底知れぬ力強さと哀愁の漂う男がテーブルの向かいに座っている。そして彼は東トルキスタンの窮状を熱く語ってくれた。 「もう二度と故郷に帰ることはできないかもしれない」 そう、彼は東トルキスタンの故郷カシュガルに妻子を残したまま亡命してきたのだ。

彼とは、みどりがインターネットでこの地域のことを調べているときに知り合ったのだが、メールを出した当時はまだカシュガルでツアーガイドの仕事をしていた。しかし、しばらく後になってトルコへ亡命してきたというメールが来た。それが今回イスタンブールで彼に会うことになった経緯である。

東トルキスタンは、中国政府のプロパガンダにより「新彊ウイグル自治区」という名前で知られているが、自治区なんていう言葉は嘘で、チベットや内モンゴルと同様、漢民族が在来の民族を弾圧し、搾取し、支配し続けている地域だ。そこは、もともとウイグル人の住む土地だったのだが、旧ソ連や中国など、隣接する大国に翻弄され悲しい歴史をたどってしまうことになった。 「ひとつの中国」という政策を続ける中国政府は、チベットやモンゴル、そしてウイグルの独自性を認めず、中国に同化させることに躍起だ。そのため、かの地に住む在来の民は、自らのアイデンティティーを意識するだけで罪にされてしまう。現実にウイグルの知識人が次々と逮捕・投獄・虐殺され、それが今なお続いているとうから恐ろしい。そのためインドに亡命しているダライラマやチベット人の例と同様、外国に逃げざるを得なくなってしまったウイグル人が後を絶たないのである。

彼も同様だった。ウイグル人である彼はカシュガルの旅行会社でガイドの仕事をしていたのだが、中国政府の民族弾圧について話していたことが当局に知られてしまい、命からがらキルギスへ越境、そしてトルコへやってきたのである。残念なことに、こうなってしまった直接の原因が仕事で同行した日本人ガイドによるものだったというから悲しい。平和ボケした日本人にとって秘密警察の存在や民族弾圧の深刻な現実など理解できなかったのだろう。その日本人ガイドは彼から聞いた現実の話を中国人ガイドの前で口を滑らせてしまったのだ。

今は国連の機関に亡命申請を出している最中。しかし、亡命中の身の人に市内を案内してもらったりしてお世話になりっぱなし。この街滞在中の三日間、毎日会って話を聞かせてもらったのだが、イスタンブールの名所や史跡などどうでもいいと思うほど、彼の話の方が興味深く、そしてショッキングだった。 約二ヶ月かけて越えてきた中央アジア。カシュガルへは行けなかったが、一過性の旅行者の目には見えないおぞましい事が起きていたとは。東トルキスタンに関してもっと詳しい事を知りたい人は以下のサイトを参照してほしい。
東トルキスタン情報センターhttp://www.uyghur.org